2010年6月28日月曜日

エルトュールル号事件

1980年(明治23年)9月16日。

大型台風が日本列島を襲い、風や波が強く吹き荒れていたある夜、和歌山県樫野崎(現在は串本町)沖で、東京から帰国中のオスマン帝国(現在トルコ共和国)の親善視察団の軍艦エルトゥールル号が難破しました。

587名が犠牲になりましたが、暴風雨の中、村人たちの懸命な努力で69名を救助しました。

その後、この生存者を、明治政府は海軍の軍艦2隻を使い、イスタンブールまで送り届けました。
トルコでは国を挙げての歓迎を受けたといいます。

現在の串本町には追悼碑が建てられています。

この事件は、日本にとってただのエピソードとしてしか語り継がれておらず、知っている人もほとんどいないかと思います。

しかし、一方トルコ共和国では、今も「エルトゥールル号事件」を小学校の教科書に紹介し、誰もが知る歴史上のエピソードとして語り継がれている事件なのです。



そして、この事件。

実は続きがあるのです。


1980年に始まったイランイラク戦争。
サダム・フセインがイラン領に侵攻しました。

1985年には不毛な殺し合いが続き、とうとう滞在していた日本人にも危機が迫りました。

サダム・フセインからの死の宣告「48時間後には、イラン上空に入る全ての航空機を撃墜する!」

諸外国が臨時便で自国民を非難させる中、日本人だけ孤立していました。

理由は、その時テヘランには日本の航空会社は乗り入れておらず、日本大使館の野村豊は、日本政府に特別機の派遣を要請しました。

しかし返ってきた答えは、「安全の保証がなくては派遣できない」

外務省から日本航空に緊急の救援派遣を求めましたが、帰路の安全の保障ができないことを理由に断られました。。
後日組合の反対だったことが判明したそうですが。

テヘラン空港に残された日本人は女性や子どもを含む215名。
困った野村大使は最後の手段に、親交のあったトルコ大使ビルレルに頼み込みました。

ビルレルの要請を受け、トルコ航空は急遽2機の特別機を、戦火交わるテヘランへ飛ばしました。

相当な覚悟だったと思います。

そして215人全員を乗せた2機DC-8は、夕闇迫るメヘラバード空港をトルコのアンカラ目がけ、急いで飛び立ちました。




そして、イラン国境を越え、イラン空軍機が後を迫る中、




タイムリミットわずか75分前のこと。。










「Welcome to Turkey, ladies and gentleman」

(乗客の皆様、ようこそトルコへ)










このアナウンスが機内に響き渡り、全員が抱き合い、涙しました。

後日、ビルレル大使は野村大使に対し、





「トルコ人なら誰でもエルトゥールル号事件のことを知っています。
ご恩返しをしただけです」





帰路の安全保障を理由に断る日本人とエルレル大使の違いは歴史を知っているか否か、これだけ。





しかし、これにはまだ続きがあったのです。



このことから十数年後の1999年8月、トルコ北西部で大地震が発生。

死者1万7千人を越えるほど被害も大きく、日本政府は人命救助・物資・医療など様々な分野でトルコ復興を支えました。

しかし、実はそれを政府に訴え、中心となって働いたのはあの時トルコ航空で救ってもらった人達だったのです!

また、仮設住宅500戸、毛布2,000枚などの救援物資を海上自衛隊の輸送艦「おやすみ」など3隻で届けたのですが、中心となったのは、当時トルコ大使館の防衛駐在館であった福本出少将でした。



「トルコ政府は大変な状況で取りにいけないと言うので届けた。恩返しをしたかった」と語ったそうです。



さらにさらに、

2002年のサッカーワールドカップ。

宮城スタジアムで行われた日本VSトルコ戦。
日本は残念ながら負けましたが、周辺の冷たい視線と解説者からの非難のコメントを受けながらも、トルコチームを応援する日本人一団がいました。

なんとあの和歌山県串本町の人々だったのです!


実際にテレビのアナウンサーが彼らに取材し、「今日は殺される覚悟で来ました」と話していたそう。

アナウンサー含め、周りのテレビ関係者はもちろん事件のことなど知らない為、日本人として誇り高き彼らのことを、まるで日本の恥であるかのようにしか報道出来ないなんて。。





去る6月3日、和歌山県串本町でエルトゥールル号救助120年の今年、追悼式典がありました。

トルコ政府代表や串本町の人々、海軍関係者が集いました。
海上自衛隊の護衛艦で非難海域へ向かい、献花しました。

この模様は記事には小さく取り上げられましたが、テレビでの取り扱いがあったかは定かではありません。


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以上の話は先生からのオリジナル文章を引用しながら書きました。

全て本当のことです。


日本には実はあまり知られていない、知っていなければならない歴史がたくさんあります。

そして都合が悪いことを理由に、その歴史を伝えず隠さなければならないという事実があることも事実。

本当の歴史は私たちにとって裏話ばかり。

だから今は正しい歴史を教わっています。

教わるたびに日本にこんな深いドラマがあったのかと、なにか映画を見ているような感じがします。


それから、都合の悪いことというのは今の日本でも溢れている話です。

メディアリテラシー。

これはメディアの正統性をチェックする姿勢のことですが、日本人に大きく欠けている能力のひとつ。

全ては利権がからんでいます。

テレビの情報はタダであり、顧客はスポンサー。
スポンサーの為に、人が注目する番組作りをすること。
これがマスコミやテレビの目的であり、決して国民の為に作られているわけではないとのこと。

だから人が注目してくれる情報ばかりを流し続け、何が正しいのか正しくないのか本当にわけが分からない、日本てそんな国なんだなー

本当に正しい情報にはお金がかかります。

私は常々感じるようになりました。

2010年6月21日月曜日

歴史

自国の歴史を必須科目に入れていないのは日本だけだといいます。
大学の入試にも歴史が必須でないのは日本ぐらい。


歴史とは今の私たちとは切っても切り離せないものです。
今の教育者にはその重要性を伝える教育者が少ないことが非常に残念です。


今はグローバル化の時代で英語が必要といわれ、英語を必須科目としている学校が増えました。
しかしグローバル化の本当の意味を皆さん知っていますか?本当に重要だと思いますか?
それよりも自国の文化・情緒を守っていかないと日本はどんどんのまれていくだけだと思いませんか?


日本らしさを失うことはすごく悲しいです。日本は世界の人々を魅了する文化をたくさん作り、昔は世界一と崇められる人もいるほどでした。


そういったことから、日本を訪れた外国人は日本は文化と学び高い危険な国であり、かなうような敵ではないと記録に残し、植民地にもされなかったそうです。


きっとこのことを知ってる日本人もすごく少ないと思います。
日本の良いとこ悪いとこを知らなければ本当の国際人にはなれない。
人間関係ときっと同じことだと思う。


英語なんてただのツール。
社会人で必要な人なんて未だにほんの一部。
それに英語は本当に必要なら、大人になってからでも遅くない。


もし英語を話せる能力が身についても肝心の中身が話せなかったら本当の国際人にはなれないよ。
一番大事な子どもの時期に何を教えるべきか、考えたら日本の教育システム穴だらけだ。
いざ話そうってときに肝心の中身が薄かったら英語なんて使わないほうがいい。


最近読んだ「国家の品格」。日本のことを色々考えるきっかけにもなったけど、日本のことちょっと好きになることもできた。素晴らしい一冊です。ベストセラーにもなったし、ぜひ日本人なら読んで頂きたい。



そして歴史について考えさせられるようになったのは私の恩師から。


歴史を知らなければ外人と本当のコミュニケーションは取れないし、世界史にも最も疎いといわれる日本人は、歴史的建造物を見たって異文化の本当の感動を得ることは出来ない。

それってすごくもったいないし、悲しいこと。
私はこれからもっと色んな世界が見たいからそうはなりたくないな。

そんなわけで歴史の講義を受けることを決めました。
こないだはなんで九州弁があれほど訛りが強いのかってのを知って驚き。
歴史は全て繋がってるから、知るほどに深いし、面白いです。

昔の私の一番嫌いな教科だったのに。。


それからこれも人に例えると分かりやすいけど、歴史を知るって失敗を知るってことだと思います。
最初から完璧な人はいない。失敗を学んでこそ人は成長するし、国だって同じ。


知らなければ何も変わらないし、他国にどんどん越されてくだけ。。
失敗からどうやって変えていくか考え、行動する人がいなければ。
今の政治と同じだね。


先生の推薦映画「硫黄島からの手紙」


作ったのは日本人ではなく、世界に名高いクリント・イーストウッド監督。

外人である彼に本当に多くのことを教えてもらった。

キャストには外人を一人も使ってません。
教科書読むより、この映画を見ることのほうが何十倍も価値がある。


日本の将来を信じて戦士した人たちをもっと知ること。
私たちが今生きれることをもっと感謝しなきゃいけない。

リアルだけどこれも日本人なら見なければいけない映画だと思いました。
そして渡辺謙、二ノ宮君の演技も素晴らしいや。

歴史について語ってしまった。。

とりあえず、歴史にちょっとでも興味もってもらいたいと思って書いてみました。

これからもっとみんなに伝えていけたらいいと思ってます。

2010年6月11日金曜日

Jim's Pancakes





























子どもの好きな食べ物パンケーキ。

パンケーキの思い出って、何気に皆あるんじゃないかな?

そんな愛する娘の為に、父から受け継いだパンケーキ作りの才能を持ったお父さんがいました。

彼は、今でも娘の為に世界一のパンケーキを作り続けています。

こんな素敵な写真見てるとなんだかほっとします。

こういう幸せがもっと世界中に広まるといいね☆

2010年6月10日木曜日

チャリのたび


昨日は埼玉県の戸田公園までチャリで行って来ました。


行きたい店があったからなんだけど結局対したモノも買わなかったなぁ。


こんな破天荒なことをしてしまう自分が自分らしいなと思ってしまう。


10万くらいの自転車買って都内の色んなとこぐるぐる回れたらなー




2010年6月4日金曜日

yuuan

昨日は、先生と目黒にて野菜が美味しいお店へ。

私にとって数少ない心許せる人との久々の食事は、感動するほど美味しかった。

最近仕事で精神的にかなり追い詰められ、自分で何をしでかすか分からないほどまいっています。

自分自身で痛めつけては苦しむ日々で、感情のコントロールが時々不能になってしまいます。


私にとって初めての本気の人生相談。

そして先生はちゃんとした答えを教えてくれる唯一の人物。


私の今の会社は派遣みたいなもので、ミスしないことが当たり前。

ミスをすればした分だけ評価が下がり、つまりどんなに頑張ってもミスした点数を上げることは出来ない。

ほんのちょっとしたミスでもレポートを書き続けてモチベーションは下がる日々。

挙句の果てには個人的に問題抱えてるのではないかと言われるし、会社には同期もいない上、尊敬できる上司もいないから相談できる人もいない。

いるのは相手の立場になって物事を考えれない偉ぶれた上司と誤解ばかりの変わったチームメンバー。ここには泣いても慰めてくれるような人は一人もいませんでした。

そして長い一日をただ座って耐えている日々。

本当の自分の強みを活かせず、頑張っても誰からも評価されない。

ここでは自分を認めてくれる人は誰もいなかった。

私の周りでも毎日それぞれつらい思いをしてる友達ばかり。

先生には、日本の会社の仕組みの話も色々聞きました。

会社があるのは日本だけという話で、どれだけ日本の会社の仕組みが悪いのかという話。

アメリカがなんてうらやましいだろうか。

でも、つらいけれどもうちょっとだけ頑張ってみます。


頑張れる理由は学校があるから。


毎日泣いても自分の強みを認めてくれる人と、勉強する場所があることで自分らしさをなんとか保つことが出来る。


昨日教えてもらったんだけど、やっぱり私は人一倍繊細でもろい。

だけど、女性として必要な人の立場に立って物事を考えられる能力は誰よりも強い。

だから色んな人と付き合うことは出来ないけれど、信頼してる人とはずっと長く付き合っていられると。


先生もその一人だと言ってくれました。

このブログを見てくれてる人も、私が信頼している人達だと思っています。

私めちゃくちゃ弱いですが、強みを活かせたら誰にも負けません。

それで困った時は絶対に力になりたいし、助けてあげたい。

そして、このブログ読んでくれてる人にはこれからも仲良くして欲しいし、支えて欲しい。

でも多分自分から声をかけることはできないので、できれば誘ったりして欲しいです。

なかなか相手に自分の本当の気持ちを伝えることってできないので、ブログにて皆に伝えようと思いました。



早く色んな夢を叶えたいな。



そして昨日は他にも結婚感や野菜の話も。

野菜はアジア人は茹でるか焼いたものでないと栄養が取れないらしいです。

だから日本は野菜は漬物や煮物が当たり前で、アメリカの影響を受けるまでは決して生で食べなかったそうです。

生野菜を食べ始めたのはごく最近の話で、食べても繊維が取れるだけで栄養は全く取れないそう。

だから中華や韓国料理も必ず野菜を加熱しているということにすごく納得してしまいました。

酵素を取るために生野菜ばかり食べていた自分にとってはすごく衝撃的でした。

先生といるとこんな裏話たくさん聞けて本当に勉強になるなぁー

今日も感謝。