2014年12月23日火曜日

Marathon monk

先日TVで千日回峰行を成し遂げた大阿闍梨という称号を持つ人の存在を初めて知った

同じ国に住んでいてどうして今まで知ることがなかったのか

私の日常を変えるくらいの衝撃を受けた

千日回峰行は場所によってもやり方が異なりますが

千日という決められた時間を極限を超えた状態になってでも行う

死と常に隣り合わせの行である

彼らを見ていると「生き仏」と称える人々の祈る姿に強く同感せざるを得ない

延暦寺が信長の焼き討ちに合ったその前よりもずっと続けられているのも本当にすごいことだ


師を尊い 感銘を受け 

何百年にも渡って変化することなく大事に受け継がれた

それだけ日本人を象徴するものでもあるし

私たちが一番大事にするべきことを意味してる


彼らは私たちが見てこなかった戦時中や今世界中で苦しんでいる人を描写しているように見えた

厳しい生活を続けることで見えてくる時間 モノ 自分自身

今見えているものに全力を注ぎ

今手にしているものに心を込めて感謝する

それを一日続け 一週間 一生続ける

言葉にしなくても学んだことがたくさんあった


彼らの生き方に衝撃を受けてから色々と自分の中で考えが変わった

それでもその気持ちを保ち続けることすら容易なことじゃない

自分は他人よりも努力していると思ったけどそれじゃもの足りない

目標を高く持つことで視点をぶらさない

私には師がいないから自分で自分自身を戒める強さが必要だ


2014年11月29日土曜日

We need this World Peace Game.

「ごめんなさい
私たちはこの世界をめちゃくちゃにしてしまった
もう私たちにはどうすることもできない
私たちは君たちならこの世界を平和にできると信じている
どうにかこの世界を平和にしてくれないだろうか」

大人が子供に真剣に語ることで子供はどうするでしょうか

信じられませんが子供たちは大人が謝ることで真剣に取り組みます
自分たちにしかできない使命を必死で全うしようとするのです

これはアメリカのバージニアの教師が独自で考え出した
「World Peace Game」
4つの国それぞれには資源、軍人、商業等独自のものがあり
各国に総理大臣、国務長官、国防長官、経理担当大臣を子供たちに割り振ります
現存する世界問題(貧困、温暖化、戦争等)を50個掲げ
国のリーダーとしてこれらの問題を全て解決し
各国の資金を増やして世界を平和にします
7週間ほど取り組み一つの問題が解決されると色んな事情が変わってくるという複雑さ
きっと大人がやっても相当難しいでしょう

ゲームと言いながらも子供たちの真剣な取り組みようにはっとさせられます
大人が考えられないようなアイデアを出しながら自国の為ではなく
世界の平和の為に行動しているのです
その姿にはなんとも言葉にし難いものがありました

そして全ての課題をクリアし 世界平和に成功した子供たちの喜びようと言ったらもう
見ている私たちが考えさせられます

本当にそこには正解がない テストもない 
だけど何が正しくて何が悪いのか
このゲームで全て私たちの学ぶべき全てを学べると思った
John Hunter は何も教えません 
本を読むかの如く世界平和の様子をじっと見守ります
それは子供自身で学ぶということを大切にしているから

一番感動したエピソードは授業参観の母親の話でした
軍のリーダーの任務についた生徒が軍人を一人失ってしまい
その両親に追悼の意を込めて手紙を書かなくてはならなかったのです
それを子供が読もうとしましたが 
授業参観で来ていた親が読んだほうがリアルだからと
ある一人の母親が読むことになりました

喜んでその手紙を読もうとした彼女は2行読み終えました
しかし驚くことになんと3行目で泣き出してしまいました
その姿に先生も堪えきれず涙を流してしまったのです 

その文章がどんなものであるかは分かりませんが
たとえ知らない人であれ 
どこかの家族の大切な一人を失ったことに対する命の尊さ
自分がしてしまったことの罪に対する悲しみに
リアルでない世界で
これほどまでに悲しみに溢れてしまうとは...
本当に信じられませんでした

現存する世界の戦争にリアルを感じれない私たちが
まさに感じるべきことでした

彼の語った3つ目のエピソードにも胸を打たれました
50の複雑な世界問題を解決し世界平和になったはずでした
その為に7週間という時間をかけてきて 残り時間1分
なんと貧しい国の資産が増えていないことに気づいたのです

先生はその時これは自分のミスだと自分を責めた
彼らをなんとかしてあげる方法があったはずだと悔やんだ
教室中に絶望感が漂い
教室中が混乱して叫ぶ子供も出始めパニック状態

その時ある生徒が言ったのです
「残り12秒です 私たち全ての国は資金を集めました
あなたの国に資金援助することができます
もしあなたが受け取るのであれば私たちはこのゲームに勝つことができます
受け取ってくれますか?」
「はい」

一瞬の予期しない展開に大人たちは一瞬理解することができないでしょう
私たちが今もこの世界でずっと苦しんできた答えを
彼らははたったの数秒で いとも簡単に解決してしまったからです

私にとって一生忘れられないであろうエピソードでした
そのシーンを実際に見たわけではないのに
Johnが何度も語る姿を見ては涙を流し たくさんのことを考えさせられました

私はJohn Hunterのように世界平和を掲げて新しい世界を作り上げようとする人が大好きだ
もうこういう人しか心から尊敬できなくなってしまった
でも彼のような人がいるのだと気づいてから
それが私にとっての希望となりました


2014年11月16日日曜日

妥協から生まれる歴史

頭がいいとはどいういうことか


経験したら世界が開く
どれほどの知識を持っていたとしても
たくさんの経験をし 広く深い考えを持った人には敵わない
その経験を元になにが一番大事でそうじゃないか判断できること
私が目指す理想です


学ぶとはどういうことか


世界がある意味を知るべき
自分の存在の小ささに気づくことで正しい方向へ進むことができる

自分と違うものに触れることで初めて人は自分の意見を持つようになる
善悪なんて存在しない


世界に行けることができるようになったのに
私たちはどんどん世界から離れていこうとしている
昔の人の考えを知るたびにこんなにも宇宙と密着していた暮らしをしていたのかと驚かされます

エジプト人は昔太陽は毎晩ヌト神に飲み込まれ
巨大な体内を旅していくと考えていました
体中を巡った太陽は新しい子供のように産み落とされ
新しい太陽として地球を照らします

もし太陽という存在を知らなければ
そんな考えを持つことができるでしょうか
たくさんの人たちに信仰していた考え
その考えを受け入れられるかそうでないかで自分の世界が変わる

戦争を起こす暴動者の元凶も辿っていけば受け入れられるものもあるはずだ
何を言っているんだと他の人が考えるようなことでも
私たちは自分たちの発想で全く新しい世界を作ることができます

歴史を変えることができないなら未来を変えるしかない
過去の歴史を妥協しあえれば
この世界は本当に素晴らしいものになります

その妥協は旅をして理解し合うしかない
自分はいつでもそこに行けるということを証明しなくてはいけない

あの小さな子供何をしたんだっていう言葉が忘れられない

目の前で苦しむ人を見る覚悟が必要だ
























Prisoner's gift shop in Palau

旅行から帰ってきてから勉強に身が入り
独学で興味あることをひたすら勉強しています

自分のやり方でアイデアを生み出しながら勉強する楽しさ
全て今までの苦労と経験で培ってきたものだ


パラオブログ最終章 Prisoner's gift shop
文字通り本物の刑務所の中のギフトショップ

日本統治時代に日本の美術教師が伝えたストーリーボード
硬質のマホガニーの木にパラオの昔から伝わる話を絵で表現したものです




一体どれくらいの時間をかけたのかと思えるほど見事なものだった

パラオには凶悪犯罪がないらしいこともあり日本のような罪人のイメージを持てない
これを作った人はどんな人たちなんだろうと興味を抱くばかり

ストーリーの数も予想外に半端なかった
私がその場所から離れられずにいたらおばちゃんが日本語で書かれたストーリーの内容を書いたファイルを見せてくれた

予想外に半端ないストーリーの数だった
あの作品数とどれを取っても全く違う作品と形で何時間でもいれそうだった


本物の刑務所の中に入り
受付のようなところでギフトショップの部屋の鍵を開けてもらう
警官ばかりで犯罪者らしき人も普通に近くにいた

とても小さくなぜか観光客もいないので観光名所とは呼び難いですが 
ぜひ世界の人に見てもらいたいと自分が思ってしまうほど


帰り際に警官たちが宅配ピザを食べてました

2014年11月8日土曜日

バベルダオブ島 マルキョク アイライバイ

3日目の最終日はバベルダオブ島陸ツアー
うちらとガイドの4人でののんびりツアー


滝壺に飛び込んだり 滝道を楽しく下ったり

日本にはない規模の巨大さ ガラスマオの滝浴び



ジップラインでターザン気分を味わったり


はじめてのココナッツジュースを飲んでわさび醤油で食べたり



その後はマルキョク州の国会へ
元々コロール州にありましたが2006年に遷都
50億円相当の台湾政府からの援助で建てられたそう


昔のお金とクイナ お金を生み出すMoney bird
群れをなす魚 ハギは団結の象徴
各州を象徴する神様等が描かれてます


でっかいでっかいバベルダオブ島を首都にして人や店を栄えさせようとしたけど 小さな国のダウンタウンは相変わらずのまま
おかげで島はほとんど手付かずということで1日で周れちゃう
でも所々に見られる真っ赤なハイビスカスは公務員の方々がお手入れしているよう


国会 裁判所等があり警備員もおらずとっても静か
ちなみに大統領は普通の洋服来て外食してお酒飲んだり 
住民と何ら変わらない生活
それだけでもこの国の良さが伝わってくる

涼しい風を感じながらののんびり幕の内弁当ー
周りには何もなくぽつん状態
ホワイトハウスを真似たようですが 建物に触れるとあらま

通信局へ行った後は
ずっと来たかったバイ!!


昔は村ごとに2、3個たくさんあったけど
太平洋戦争の戦火で現存するのはアイライ州のバイのみ(1890年)
かなり大きく 釘を使わず 積み重ねられた石の上に建てられた
ペンキも無い時代でどんな風にこの鮮やかな色を残したのだろう


もちろん文字の無い時代であったのでそれぞれのバイにストーリーが描かれています
女性の売春を象徴したもの 食や人々の生活風景等

そしてバイは2種類あります
女性は働かず家で子供の世話するのが役割であったので
酋長目的のバイは女性禁制 
集会目的のものは少年が釣り・狩り・大工等を学び
よその村の少女(バイ・ガール)が連れて来られ初体験も学んだ 
少女はウドウドというお金を稼いだ
バイの正面にそのストーリーが堂々と描かれているのです


最後はリクエストでパラオ唯一のローカルドーナツショップへ


地元の人々に愛されていて学生から大人まで小さな店内でテレビや話をしながらティータイム
どこかの映画で見たことあるような風景だ
朝来れば出来立てのドーナツが食べれたけど遠いので来れずー

2014年11月3日月曜日

ロックアイランド ジャーマンチャネルにてダイビング

人生ではじめてのタイビング
勉強することが多くてできるか不安だったけど
ビーチで実践しながら学んでいき数時間で二人ともマスターできた


だけど元々鼻炎持ちのため耳抜きにはとても苦労した
まして鼻炎の方にはダイビングは少し危険を伴うものだと心から実感
でも2~3Mでのあの耳の痛さを感じたら12Mなんて無理なんじゃとずっと不安でした
未だに左耳の違和感が消えず常に耳抜きをしているような感覚が残ってる

朝から練習をし この日は2箇所外洋でダイビング
まだ耳抜きができた状態とできていない状態の区別がわからなかったけど
日本人女性スタッフが痛みを感じていなければ大丈夫だと教えてくれた


最初のポイントでの初潜り

なんとか耳抜きができ 12Mまで潜ることができた
泳ぎ方はぎこちないけど本当に安心した

海の中は正直人がたくさん潜っている海の中という感じ
でも二箇所目のジャーマンチャネルはまた違う世界
ライセンスがないのでマンタがいるような場所へは行けないけど
海にこんな美しい世界があることがなんかただ信じられない

この世界をもっと美しくすることは人の手でできることではない
だから私たちはこの世界を守っていく必要があるんだとおもった


ロックアイランド パラオには500の無人島があり
イノキアイランド(アントニオ猪木所有) おじさんアイランド ワニ島
星座のように島の形から連想されて付けられた名前がたくさんある


お昼は無人島のビーチでランチ
パラオでは現地の言葉で「ベントー」が日本語と同じ意味で残っており
ずっとランチは弁当屋さんのベントーを食べました
日本でそれを知ったときは唖然としたけど
味が濃くても海で食べるご飯はうまいもんだ



おじさんがココナッツを真剣に撮っていてなんだか不思議だった




夜はディナークルーズでパラオ人とのダンスを楽しみました




パラオ人は本当に癒されるな
みんな太ってるけど仕事中に楽しそうに話してるのとかみるといい国だなってふと思う
日本とここまで強いつながりがあるならもっと日本人に知ってもらいたい
どうしてこんなにも知られることがない国なんだろうか


あと面白いのが
パラオにはすごくかわった嗜好品があり
売店のおっちゃんが「アタママワル」と言ってやってました
パラオ人みんなやってるみたいだ
ものすごく苦く辛い?らしいですがかなりの強烈もの
道についてる赤い唾の跡がその証拠

2014年10月25日土曜日

エビールチャネル ロングビーチ ストーンモノリス

パラオ アイライ州の国際空港に深夜に到着

最新情報は得ていたものの本当に断水していて驚いた
KBブリッジの水道管が破烈し、コロール・アイライ州で2週間前から計画断水

洗面台したのプラスチックケースいっぱいの水
これで全ての用を足さなければならない

水を汲めるものがグラスしかなく
洗顔がなんという不便さ。。
でも水不足の経験は小学校以来でなんだか新鮮だった

1日目はバベルダオブ島の北端 ガラロン州の保護区エビールチャネルへ
2、3年前にツーリストとして解放されたばかり 
数あるスポットの中でもかなりの秘境らしくとても楽しみにしていた


携帯の防水ケースを購入したものの 
残念ながら指センサーが反応せず写真を全く撮れなかった

でもこの水の透明度 
この森のような海の世界

ただ真っ青に広がる海
その下で私たちが戦争をしていたずっと前から
こんな美しい世界が広がっていたんだ

水族館では感じられない臨場感とリアルの美しさ
1日中見ていたいぐらいだ

こんな美しい世界を見たら誰もがこの世界の美しさを壊したくないと思う
だから世界中の人にこの美しさを知ってもらいたい
でもそれと同時に ここは人間なんかが来るようなところではないとも思った

二日目のダイビングで思った
毎日たくさんの人が潜る海と人のいない静かな海
死んだ珊瑚礁の山とエビールチャネルの生き生きとした色とりどりの珊瑚礁

サンゴは1年で1cmしか成長しない
サンゴを殺せるのは人間だけ
ガイドをしてくれたヒロミさんが折られたサンゴを拾って波止場に飾っていた


ちなみに中国人や韓国人は持って帰るからとわざわざサンゴを折っていいか尋ねるらしい しかも両手で抱えるほど大量に。。
珊瑚礁は魚の居場所なのにそれを奪うくらいなら人間が潜る必要はないよ
サンゴで怪我してしまったけどサンゴが折れなくて本当によかった

この日に行ったのはまず2つの島を結ぶパラオ最大のロングビーチ
真っ白で滑らかな砂の美しさにも驚いた
他のツアリストもおらず足跡のないビーチを独占状態


そして謎多きストーンモノリス
入場料がかかるのでおばちゃんが管理しており
ベラちゃんという猫と野生化した大量のニワトリたちがお出迎え


このどこからどう見てもニワトリ 「赤色野鶏」という学名があるそう
どこからか連れてこられたようですが野生化して進化してます
そしてパラオ中にいて昔から多くの建物にも描かれてる
パラオでお馴染みのレッドルースターのビールにもいますね


このストーンモノリスは誰がなんの為に置いたものか不明
でもパラオの法律で調べてはいけないことになっているので一生謎のまま
ですがどうやらパラオ唯一のパワースポットということらしい

2014年10月23日木曜日

パラオの歴史から ペリリュー島

5日間 パラオへ旅行へ行ってきました
メインはダイビングとシュノーケリングナイトカヤック etc.

友人と2人で行ったのだけど いつの間にか
オプションツアー 4 ディナー 2 全ての下調べと予約までを一人でやり
そこまではよかったものの現地での予約トラブルが重なり
だいぶストレスに悩まされてしまった

パラオは大きい会社だと基本日本人担当者がいてくれてだいぶ助かりますが
インターネット環境が悪く送信トラブルもしばしばあるそう
そして今回は予約したのにホテルに届いた案内では全く違うツアーであったり
予約してないツアーの案内があったりとかなり焦り初日は眠れず。。

また相方は相方で当日にもツアーの内容を理解しておらず
なんでもかんでも私に頼りまくりで
精神的に色々とまいってしまうこともありました

ですがそんなストレスを吹っ飛ばしてくれるような
素晴らしい自然と時間の流れ!

勢いで来てしまったパラオ旅行だけど
なんだかんだでよかった部分もたっっくさん

私が調べまくったパラオの歴史と感じたことを記します

そして日本人が知るべきパラオと日本の深い歴史の話



















15年のドイツ植民地時代後に”パリ講話会議”により日本委任統治時代が31年間あった 
この時厳しい日本教育が行われたので
現存する日本語が数多くあり(400語くらい)年配の人は日本語喋れる人多数
旅行中耳にしたのは「ダイジョーブ」 「モンダイナイ」 「ベントー」とか

現在の現地人はパラオ語、英語を喋りますがこれがかなりクセのある英語
タクシーの運転手のおっちゃんがひたすら台湾人と中国人について陽気に何か喋っていましたが全く聞き取れず。。
そして正月に汁粉を食べる風習もこの時からだそう

日本統治直前はスペインによる圧政や天然痘で6万いた国民が6千まで減少
整ったインフラや医療施設もなく 自然の中で暮らしてるような状態
あらゆるものを搾取し 略奪するひどい植民地政策だった

その後日本統治になったことでビール工場、缶詰工場、農作物等で雇用を生み出し
学校、病院、水道、電気等のインフラが徹底的に整備され
日本人は彼らと一緒に働いた



太平洋戦争前に パラオ人の3倍の日本人が居住したのは
建築業者、教師、行政官吏等を派遣したから
これらのことは現在のパラオの国定の教科書に大きく書かれているそう

そして日本人とパラオ人は本当に仲が良くて一緒に歌を唄って酒を飲むなど
とても平和な暮らしだったそうですが平和な日々も続かず

アメリカ軍がペリリュー島に攻めてくる
日本兵はその前に戦場となるペリリュー島を彼らは兵隊ではないからと本島へ避難させた
そしてもしかしたら勝てないかもしれないとも感じながら
パラオを守る為に全力で戦った

その後司令塔の中川隊長の元へ
パラオ人の代表者が船で来島し「一緒に戦わせてくれ」と願い出ました
普段温厚な隊長は
「貴様らごとき土人と共に誇り高き日本人が戦えるか!出て行け!」
白人が使っていた差別用語の”土人”という言葉で彼らを追い返しました

呆然となった彼らが離島した直後
近くに隠れていた日本人兵が全員出て彼らを「元気でなー!」と見送った
中川隊長の言葉はパラオ人を守るための必死の嘘だった

圧倒的な人数と兵器の数に日本人は3日で玉砕すると言われていたが
3ヶ月間必死で彼らは戦い抜いた
守備隊の抵抗力は凄まじく二度の上陸を阻止 
オレンジビーチは真っ赤な血に染められた
食料もないまま怪我をしたまま何日も洞窟に身を潜めながら
必死で8,844人のアメリカ兵を殺した
洞窟からの攻撃は予想外のものだったらしい
それでもすかさず火炎弾を投げ込まれてもじっと耐えていたそう

守備隊は最後に玉砕の意味を示す暗号「サクラ、サクラ」を送った後も戦い続けた

アメリカ統治になり日本人と作ってきた畑、神社等日本を象徴するものは破壊された 教科書にも日本人がパラオ人をたくさん虐殺したと書いたが誰も信じなかった

パラオは法律で先祖の歴史を掘り返したり壊したりしてはいけない法律があり
ペリリュー島や海中等に戦車、防空壕等がそのまま残っている

普通であれば外人の慰霊塔は建てないが
パラオ人はペリリュー島の1万以上の日本兵隊の戦没者を湛え
慰霊塔を建てて清掃した

















すごく深い絆で結ばれていたなんて全然知らなかった
どうして日本は他国の悪いところばかり私たちに教え込もうとするのだろう
あんなにも暖かく向かい入れてくれる場所をなぜ私たちは知る術がないのだろう

日本にはない雄大で南国の美しさに溢れた586の島々からなるパラオ共和国
実際に訪れて歴史を知った上でもっとこの国を好きになる日本人が
ひとりでも多く増えて欲しいと心から願います


2014年10月4日土曜日

relinquish the crown

一度人退職したいと申し出てから色々と状況が変わり
100円の時給upで新しい仕事に携わせてもらえることになった

翻訳会社と言っても大手企業の中身はどこも変わらないものだと改めて実感する
本当に尊敬できるような仕事ではないし何より働く人を見るのがつらい

だから今頃辞めているつもりだったけど
今はこうして勉強しながら仕事できることはありがたく思う

仕事が安定して生活に安心感が加わることで
別の世界に矛先を向くことができる
自らを壊そうとした自分は消えていって前よりは自然に笑えるようになった気がする

給料はたくさんもらえなくても
今はお金の価値が分かるから 小さなことに価値を見いだせる
自分のひとつひとつを大切にすることができる

日本人は周囲としか比べようとしない
だから自分たちが世界の人と比べて
どれだけ金銭的に裕福な暮らしをしているのかなんて心から感じることはできない

日々生きるか死ぬかの世界で貧しくても幸せな家族を見ると
日本人はなんて人間離れしてるだろうなんて思ってしまう
実際に私はそういう家族がいつも羨ましくてたまらない
それなのに何もしてあげられない自分が歯痒くてたまらない

だからまだ不自由がある中で生きてきた人たちは
私たちの手の届かないものを作ることができたんだろうなと最近すごく感じる

たくさんのものを作ってはたくさんのものを消費し続ける無駄
だから高い買い物をしても使わないなんてことも多い
本当にいいものなんて時間をかけないと作れないのだから
無理して働いてまでそんなに急いで結果を出しても お互いつらいだけだ

私自身常に結果を求められる毎日で自分を殺してまでも してきたことは
結局何一つ得られなかった

だから私は他人と距離を置いてまでも自分の世界の限界まで貫いていきたい






こないだNHKでYUKIちゃんがラジオ風のスタジオセットで特番してて
私が影響を受けてきた時から何も変わらない姿に驚いた

このMVではYUKIちゃんが浮気をしてどこでも寝てしまうダメダメな男役
加瀬さんがバイオリニストの女役
付き合っていく中でこの先どうしていいか分からず
お互い横顔ばかり見続ける切なさが描かれています

そしてこの二人の組み合わせと世界観がたまらなく好きだ



2014年9月29日月曜日

Breaking Badの教訓

以前に見たBreaking Badについて

麻薬製造のドラッグカルテルに堕ちていく化学教師

類を見ないコンセプトと下着姿で製造する姿に当初興味深くが沸くものの

次第にその世界の地位を得ることで豹変していく姿が見るに耐え兼ねていくようになった

なんでこんなドラマが人気なのか どこを見て面白いと言えるのか分からなかった

それでも見始めたら最後まで見ないと気がすまないので
Walter Whiteの悪人ぶりを半ば否定的に見ていた

見終わって一気にその意味がわかった

Bryan Cranstonの演技は本当に素晴らしかったんだ

もしそうであれば有り得るだろうと思えるセリフやストーリーも重なり

一話からの彼からは想像しえない 悪人に成り下がるまでの落ちっぷり

その微妙に変化していく主人公に私はずっと騙されていた

一話を見返したときの主人公の姿にあれほど驚かされたことはないだろな

そして彼自身のプライベートの姿を見たときの 彼が持つ優しさに溢れた姿にも本当に驚かされた

最近感じるのはアメリカにはこういった素晴らしい演技力を持つ俳優に溢れていること

多くの外人が言うように 日本人の演技はギャクなのかと思えるほどレベルが低いこと
というか日本人は演技をすることのないコミュニティなのでそれは仕方のないことだとも思っていますが




そしてラストを見終わってから 本当に学べることが多い

自分にしかない才能を持ち 誰かに認めてもらいたかった彼は悪という選択を受け入れた
一方で家族愛に溢れた日常の暮らしを捨てきれず

あからさまな嘘を続けながらも自分自身をそこに繋ぎ止めようとする矛盾さ

どちらも納得のするもので まさにそれこそが誰もが共感するテーマなんだ

自分自身でさえも今一番苦しめられていることをこのドラマは表現していた

言うなればMr.Whiteのように変化することは誰にでも有り得ることで
その差はいつでも紙一重であるということ

確かに以前の家族愛に恵まれた平凡な高校教師の彼は全く幸せそうではなかったし
それは現代人が最も苦しめられているテーマだ

私の知る限りの幸せな人々は自分が愛する人が近くで支えてくれて
自分だけの強みを活かせている人々だ

やっぱり本当の幸せの要素には家族愛だけでは意味がない

動物とは違い 子孫繁栄の為だけに生まれてきた生き物ではない故
それは人間としての一生の課題だ


私たちは戦争を放棄することで大事な人を守る力も必要なくなった
次に得るべき力は自分自身の為のものだ


そしてそこには必ず孤独が強いられる















On the final day of filming for Season 5,
Bryan Cranston got a Breaking Bad tattoo on the inside of his finger.


2014年9月14日日曜日

もみじ市

念願のもみじ市(クラフト市)へ

全国から集まった様々なジャンルの作家さんたちが作品を販売

駒ヶ岳の麓は日差しが強いものの
外で買い物できる気持ちよさはすごく心地が良かった

東京のデザフェスは見きれないし混みまくってるし全然違うものなんだと思った

作家さんたちが丁寧に説明してくれたり
ハンドメイド感溢れる作品は見ていて飽きないなー

さくらの木で作られた器
使い込むうちに色が変化して味が出てくるなんて素敵すぎる

出店数が減っているようだけど
もっと出店者も買い物客も地方のイベントに出向けたらいいのだけど
きっと簡単なことほど難しいんだろうな



この日もたくさん食べたー

朝から中々味わえることのできないすだちケーキ
本当に絶品で何より作ってもらえたことが嬉しかった



お昼は細麺のお蕎麦と五平餅

長野は郷土料理多いけど全部美味しくて
本当に魅力敵な場所だと感じた











一人じゃきっとつまらない旅になっていたと思います
一人旅って初めてだったけど
誰かと一緒にいられるのはやはり楽しみが倍増します

自分一人の為にここまでして頂いて感謝してもしきれないです

しかも子守の大変さも知らず、歩き回させてしまって本当に申し訳なかったです
本当に色々甘えてしまいすみませんでした

でも今回の旅は今後の自分に大きなきっかけを作ってくれると思っています

今度は自分が何かきっかけを与える存在になりたいと思います



土屋一家本当にありがとうございました

浮世絵博物館

車で連れて行ってもらった浮世絵博物館は予想外に面白かった

上野で今葛飾北斎の浮世絵名品展をやっていて
多分人が溢れかえるようなほどだと思うけど
ここでは他の人を気にすることなくじっくりと作品を鑑賞することができた

東京であまり美術館に行きたいと思えないのは
やっぱり心が疲れるからだと思った
本当にここでなら1日中でも見ていられるや

すいかの種が黒豆ほど大きかったり
深爪に対するコメントとか 筋肉の異様なつき方とか
いくらでも細かく見ることができる


私は今の日本を見てこの世界を描きたいとは思えないけど
情緒溢れる人々の生活を描き続ける背景は
どんな毎日であったのかと想像すると尽きません

そして何よりここまで奥深い世界は日本人ならではだし
到底敵わない実力にただただ立ち尽くすしかなかった

それでも自分も命あるものを描きたいと思わさずにはいられなくなる


夜は駒ヶ根市に移動しソースカツ丼

旅の食事って本当いくらでも食べれるから不思議だ
東京で食べられないからしっかり味わってきた

旧開智学校

一泊お世話になる土屋夫妻とやっとのことご対面
英都君とも初対面でどきどきだった











開店15分で売り切れることもあるという人気の鰻屋に行こうと思いましたが
残念ながら休業

ということで

つっちさんに調べて頂いた田楽のお店で鰻を堪能
ここで食べれたならもう今年は十分かな









次は楽しみしてた旧開智学校

明治6年開校で日本最古の小学校の一つ
東大の前身開成学校等を参考に
大工がわざわざ東京へ脚を運び、学んで作られたもの

松本町の7割の献金により建てられ
擬洋風建築な建物は重要文化指定にもなっています




移築復元された建物は昔の名残を感じさせる作りで
小さなイスや廊下、螺旋階段や小さな窓等
当時の人々にとっては
こんな画期的な校舎で勉強できる喜びが
今以上にあったんだろうなと思わされる
そのことは住民が資金を支援したことからも読み取れる

この学校での教育方針は
学力が低かったり、障害を持っていても誰でも平等に教育を受けさせたいという考えがあった


印象に残った写真の中で赤ん坊を背負いながら
机に向かう生徒たちの姿だった

子守奉公に出されて勉強ができず
授業を眺めていた彼女たちに
勉強が出来る機会と場所を設置したのでした

その中の一人の答辞の文章から
勉強できる喜びをもっと今の子達に感じる機会を与えられたらとも思いました



私個人的な意見としては
日本人は子供に勉強させ過ぎだ

毎日8時間なんて集中できるものでもないし
復習する時間もないまま次から次へと
興味のない新しいことを覚えるなんて無理がある

自分が何が好きか 
何が強みなのかを気づかせて、もっと勉強したいと感じさせてあげる機会を持たせてあげるべきだ

子供たちは自分のレベルも分からないし
親も子供も才能に簡単に気づけない

できないことばかりで余裕がない
差をつけさられるくらいなら
みんな同じことを勉強しなくていい

2014年9月13日土曜日

松本美術館

電車で約1時間長野市~松本市へ

駅の観光案内所を訪ね、松本美術館の割引券を入手
まだまだ日差しが暑かったけど25分くらい歩いて美術館へ

入口には名物の大きなオブジェ
ここでは松本出身の草間彌生さんの常設展示と
2種類の企画展を鑑賞

企画展では長野市民の描いた版画のコンテストをやっており
その技術レベルに驚きました
 




















































写真okだったので皆さんばっちり撮っていました

もうひとつの企画展は田口弘さんのアートコレクションの中から
小学生が展示作品を選んだものを展示するという企画

大小様々、国も様々、描き方もそれぞれなので
こんなものもあるのかというものばかり
巨大な写真やトランプ、土、世界中の国民、木彫りの等身大フィギュア etc.

















































もちろん草間彌生さんの展示も印象的だった
病気を持っていたことは知らなかったけど
テレビで喋る一言一言が力強く勇気をもらっていました

水玉じゃない初期の作品も
すごく深みのある作品で見ごたえあるものでした

善光寺 藤田久右衛門

ゲストハウスの方の教えで
朝の5時45分から善光寺本堂で行われるお朝事
「お数珠頂戴」に同宿泊者のみんなと参加
365日行われ、毎日1分ずつ始まる時間が遅くなる

善光寺は無宗派ですが、天台宗と浄土宗に護られているので
それぞれの宗派のお坊さんが約30分ずつ経を唱える

本堂前には参拝者の長い列で
時間が来ると跪き、順にお数珠で頭を撫でて頂いた

内陣の中でのお勤めを観覧させていただき
言葉とは違う経のコーラスのような響きが、すごく不思議な感じだった

なんとこの行いは千年も前から一日もかかしたことがないのだそう

そして善光寺の特徴としてお上人(おしょうにん)と呼ばれる女性の住職が多いのも見所


次に「お戒壇巡り」
前夜に同じ宿泊客の方にどれだけ怖いものか聞いていたのですごく興味津々だった
これは内々陣奥の床下に続く階段を降り
真っ暗な回廊を歩く途中で極楽のお錠前に触れると
真上におられる誰も見たことのないとされる秘仏と繋がり
往生の際にお迎えに来ていただけると約束されるもの

一切の光を失うということがこんなにも恐ろしいものかと
すごく身にしみた経験だった
子供だったら泣いてしまうんだろうな
前に進まなければゴールできないのに
前に踏み出す一歩がとても勇気のいることだと思った

また、鍵にたどり着くあたりで微かに光が差すようにも作られ
昔の人の感慨深さに本当に感動した
そして前日の戸隠神社奥社にも繋がることかもしれないけど
この回廊は産道を意識しているのだそう
自分の原点を見つめることができる場所が、長野には多いように感じられた



この後に6時半から開店している
藤田九右衛門」へ
ここでは鯉焼きを、店主が入れたお抹茶を味わいながら堪能できる

すごく小さい店ですが、築何年か分からないぐらい古い建物を
ほぼセルフリノベーションで作りあげた店内にはすごくこだわりを感じます

店内で頂くお抹茶もとても美味しく
一緒だったドイツ人の女の子がお茶の経験があったので
彼女が飲み方を教えてくれました笑

店主によると、お抹茶は世界で一番カフェインが含まれる飲み物だそう
コーヒーや紅茶は抽出させますが、お抹茶は粉末をそのまま
その為胃もたれ等が起きやすいので、始めに菓子をつまみます

そして店主のこだわりで
日本で一番高級なお抹茶(2万円台)から手頃なものをセレクト販売
京都のようにブランドに偏りがないので、このオリジナルのラインナップや
店内で気になるお抹茶を選んで飲めるのも
日本ではこの店ぐらいなのではないのでしょうか

さらなるこだわりとして
この鯉焼きは鯛焼きと違い
お土産に持って帰りたいという人の気持ちを考えて作られ
冷めても美味しくなるように作られています
そして両面ちゃんと絵柄が違い、豆は長野産の花豆を使っています

そしてさらに。。
ゲストハウスの方のおすすめでトイレへ行くと
そこには素敵な鯉の絵が美しく描かれていました
鯉が覗いている姿はまるで鯉が生きていると思わせるかのようで
朝から感動の体験なのでした

そしてこの後は本堂に戻り、丸なすの焼きおやきを食べ次の旅路へ