2021年12月25日土曜日

一生分の後悔

自分の中の気持ちを整理する為に

この気持ちを忘れない為に

そして少しでも父に伝わればいいなと思いながら


お父さんは単身赴任で小さい頃から遠い埼玉で単身赴任だった

小さかった私は父に会えるのが楽しみで、会った時に喜ばせたくて似顔絵を描いたり手作りのトロフィーをあげたりした

そして父の膝上に座るのが好きで父にお酌するのも好きだった

父も大好きな野球を見ながら嬉しそうだったように思える

今思えば仕事一筋で家族と離れて働く父は本当に寂しい思いとつらさをたくさんたくさんしてきたんだろうなと今になって思う

今じゃ遅いなんて分かり過ぎてるんだけど

私が成長するにつれて家族との心の距離もどんどん離れていってしまって私はいつの間にか家族の前ではうまく喋れず、笑うことも出来なくなってしまった

あんなに話すことが好きだったけど学校でも何も喋れなくて学校が何より苦痛でしょうがなかった


いつのまにか親が私を理解できなくなってきたのと同時に私はどんどん独りになって真っ暗な闇のほうに行ってしまった


そんな自分をどうしていいのか分からなかったし親はもっと分からなかったことだろう

記憶は薄いけど私が中学から高校にかけて父の糖尿病が始まっていた

結果的にその病気に21年、こんなに苦しむことになるとは誰も予想出来なかった

その時から左眼はもう光も感じれなくなっていたようだ

父はまだ50代で若くまだまだ仕事をしたかっただろうにトラックを使わなければならない仕事だったので仕事を引き払いざるをえなかった

どれだけ打ちひしがれたのだろうか


私はこの時に父が手術をしてたとかどんな病気かとか後になってから聞いたように思える

心配をかけないようにと母親は私に父のことは話さなかったんだろうか

私は病気になり始めた父への記憶が全然ない

父がいつから実家に戻ってきたのかも全然覚えていない

なんでそんなことも知らなかったのか

今になっては全然分からないんだ


家に戻った父は大好きなお酒を毎晩のように飲んで酔っていた

そして母が野菜多めの料理を作り始めるようになった

闘病生活を続けても唯一見える右眼の視力も徐々に見えなくなっていった

正直病気のことは私も兄も全く関わる事がなく、母親は全てを自分1人で引き受けてしまった

私たちに迷惑をかけないようにと

それ故、私も兄も病気についての詳しいことは正直ほとんど知らないんだと思う

母も自分から話すことはほとんどないし私も何を聞いていいのか分からなかった

何か間違えてたかもしれないけどもうどこから間違えてたのか検討もつかない

私1人の力ではどうしようもなかった


視力が奪われていく父と同時に体重も体力も奪われていく父の姿はどんどん変わっていった

次第に杖を付くようにもなり、満足にトイレにも行けないようになってしまった

母親はもう誰がどう見ても父の介護者になってしまった

目が見えず満足にならずに弱くなった自分の身体に抱えた父のストレスは相当なものだったろう

プライドも高く常に母を怒鳴るようになり、何かうまくできないことがあると叫び出す

次第に母親の精神も蝕み、助けて欲しいと連絡をもらって再会した母は私でもどうにもできなかった

精神病院にも通うようになり、一度実家で親の面倒を見ると約束したものの私はどうにか実家を出させて欲しいと父にお願いした

そこから私は海外へ行き、帰国後も実家にはどうしても会いたくなくて新潟へ行った

職探しで長野に落ち着いたが私はそこからほとんど実家へ帰ることがなかった

千葉に台風の甚大な災害が起き、私は数年ぶりに連絡もしないまま実家へ向かった

母は普通に戻ってたようだったが私を父と会わせたくなさそうだった

そこから私は一度も実家に戻らなかった

夏におばちゃんがいつ逝っちゃうか分からないんだからお願いだから帰っておいでと頼むので帰省するつもりで電話をかけた

だがコロナ禍で父がコロナになった場合のことを考えると帰ってきてほしくないというのと

前よりも怒鳴りようが酷い状態の父親を見せたくなかったようだ


そして2021年12月20日(月)


出勤しようと車を暖気し、すぐにでも出勤するところだった

突然母からの携帯が鳴りやばいと感じた

父が心肺停止になったと救急車の中から連絡があった

電話を替わって救急隊員の方とも話をし、すぐにでも帰らなければならないのを理解した

まずは混乱しながらも涙声で社長に理由を話し、しばらく会社を休むことを伝えた

現場監督にも連絡した後でまずどうやって帰るか、何を持っていかなければならないのかすぐに行動に移すことができなかった

そうしているうちにおばちゃんから母から連絡はあったのかと聞かれ、しばらくしたらまた連絡があるものと思いなさいと言われ、最初はその意味が理解できなかった

1時間くらい経った後母から再度連絡があった

お父さんが亡くなったと

母親は救急車の時からとても動揺していた

父が心肺停止になる前、簡易トイレを済ませた父は立ち上がりベッドに戻った

父の様子が急変し、父は心配停止になった

掛かりつけの病院の緊急に行こうとしていたがそれではまずいと判断し、母は救急車を呼んだ

救急車が来るまで母は救急隊員の方と電話をしながら心臓マッサージをした

10分くらいして救急車は到着した

いつかは母もこういう時がくるのかもしれないと覚悟はしていたかもしれないが、その時の母の心情を思うとどれだけつらい中頑張ってくれたんだろうかと胸が締め付けられる

私は5時間以上かけて車で向かったが病院に着いた頃には父の遺体はとっくになかった

病院の霊安室に何時間も置いておくことはできないので警察のほうに連れていかれたのだ

自宅でなくなった為にどんなに疑いがなくても父の体は異常がないか検査される

自宅のほうも徹底的に調べられる

部屋の写真、家の外、ゴミ箱の中、処方していた薬の全てを写真に収めた

父の学校の経歴を聞いたり、直前に何をしていたのか徹底的に調書を取られる

悲しみに打ちひしがれている人に対して現実は残酷なものだった

夕方に自宅に着いた私は葬儀屋の方が父の遺体を自宅に運んでくれるのを待った

数年ぶりに対面した父の顔は一生忘れられなそうだった

さらに細くなり目が少し開いて口から魂が抜けたという感じで大きく口を開いていた

大人になってから私は遺体を見るのが初めてだった

本当に衝撃的で変わり果ててしまった父の姿に必死で涙をこらえた

真っ白でもう生きていないのだとちゃんと実感するのがものすごくつらかった

この日は遠出の疲れも感じることなく、ほとんど眠れないままたくさん涙を流して一晩過ごした

悲しみに打ちひしがれる間もなく母はたくさんのことをやらなければならなかった

病院で検案書を受け取り、警察から死亡届を受け取る、市役所へ行って埋葬の手続きをしなければならなかった

その後葬儀屋と何度も打ち合わせをし、親戚とも打ち合わせを重ねた

私ができることはほとんどなくできることがないことが本当に申し訳なかった

結局泣くそぶりは一度も見せず母は明るくしていたらお父さんが喜ぶと思ったのかずっと明るくふるまっていた

父が自宅に戻った翌日に父の顔にメイクが施された

それは想像以上に衝撃的なもので目の下、鼻、喉にかけてもう入らないのではないかと思うほどの綿が入れられた

男の方で最初驚いたがこれは力が要る作業なのだと納得した

父の顔は見違え、微かに微笑んでるような今にも起き上がりそうな顔を見せてくれた

亡くなった3日後に通夜で翌日が告別式だった

どれもちゃんと経験するのが初めてで、葬儀場に到着して祭壇に飾られた父の若い時の写真を見ただけで涙が出そうになった

お父さんとお別れをしなければならない

もう本当に最後なんだ

通夜には父の中学の同級生も来てくれ、終了後私は葬儀場の方と父はどんな人だったか少し語っていた

翌日の告別式、父に皆で手紙と花を手向けた後に棺の中に様々なものを入れた

まずは父が旅の途中でお腹をすかせ喉が渇かないように家にあったお茶とお米を持たせた

そして家族を連れていくことはできないがお守りとして家族の髪と爪を持たせた

それから父が好きなもの、ジャビットのぬいぐるみ、甘いあんこのお菓子、父が病気になってから旅をした印の4冊の御朱印、改めて見ると父が一人でどれだけ闘病の中歩いて旅をしたのか思いを巡らせた

そしてとても嬉しかったことが、葬儀場の方が私から父がどんなものが好きだったのかを覚えていてくれて、お酒とあんみつをいくつか用意してくれていたのだった

確かに父に足りないものだったので父は喜んだにちがいないと思い、用意してくれたお心遣いにありがたい気持ちでいっぱいになった

たくさんの花とお土産をいっぱい持って父は霊柩車に乗った

1時間以上かけて父は御骨になり、私は全てを伝えきれたのか少し複雑な気持ちのまま納骨になった

父は家からすぐ近くの樹木葬のあるお寺へ納骨された

納骨への向かうまで来たときとは違う道で行き、最後に家の前を通れたのがよかった

父は自分の建てた家で苦しみがなく眠れてよかったのかもしれない

今思えば私は親を傷つけるようなことばかりしかしてあげられなかった

愛情があってもうまく伝えられずたくさん喜ばせてあげられることはできなかった

父が死んでも涙は流さないだろうと思ったのに涙は止まらず後悔ばかりでなんて自分は親不孝なんだろうかと悔やんでも悔やんでも悔やみきれなかった

父が亡くなる2日前に社長にもうつらいので会社を辞めますと大泣きしながら話をした後だったので、父は戻って来いと私のことを呼んでくれたのかと本気で思った

今でも父がどこかで見守っているように思えて、私は自分の人生を精一杯生きなければならないと本気で感じた

父の死はつらくても穏やかだったように思える

これからは病気を気にすることなく、天国で安らかに穏やかなお父さんのまま眠っていて欲しい

こんなに親不孝な娘だけど貧乏だったお父さんが私たちの為に一生懸命働いてくれて、大学まで行かせてくれて、わがままでちゃんとお父さんの前で笑えなかったけど、大事に育ててくれて本当にありがとうございました。

私は今お父さんのことを、お父さんの精一杯生きた生き方を誰よりも誇りに思います。

お父さんとお母さんを悲しませないようにこれからの人生精一杯自分と向き合います。

いつまでも見守っていてください。お父さん。


2020年4月26日日曜日

アルケミスト

かなり久々の読書。
翻訳されたものということもあってか表現が分かりづらいこともあり、
途中何度も読み返す必要がありました。
私自身も活字の習慣がなくなってしまったこともあると思いますが。

私の尊敬するアーティストの方がお薦めしていたので何年か前から読みたいと思っていたし、著者がブラジル人ということで興味が惹かれました。

とにかくもし原文で理解できたのなら、どれほどもっとこの物語を理解して想像することができたのだろうかと何度も思いました。
それほどまでに頭を想像することに集中し、色んな情景を思い浮かべ、頭を久々にフル回転させながら読み進めました。

そして著者の人柄と彼の経験してきたことの偉大さを羨ましくも感じ、本当に素敵な方の物語を手に取ることができたことに喜びを感じました。

覚えておきたい文章が山のようにありました。
覚えておくことはできないけどまたどこかで会える文章たちなんだろうという気がしています。







「幸福の秘密とは、世界のすべてのすばらしさを味わい、しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ」







こういう表現は初めて聞いたので最初は理解できなかったけど、考えを深めるうちにすごいことを表現している文章なのだとじわじわ感じました。




傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい」
夢を追求している時は、心は決して傷つかない」




おまえが自分の内にすばらしい宝物を持っていて、そのことを他の人に話したとしても、めったに信じてもらえないものなのだよ」
そして、いつかまた旅をしたいとも心動かされた旅物語でした。







共感したものもあれば、自分以外にも同じことを考えている人がいると知れてなんだか安心した文章もあり、もっと歳を重ねたら分かることができるのだろうかという文章もありました。








2017年2月10日金曜日

Sia / Chandelier 和訳

洋楽の女性シンガーで初めて心をここまで揺さぶられた

なんて本能的で力強くて美しいんだろうと思うと涙があふれてたまらない

自分自身にも同じような強さを持っているから感じることができるんだとも思ってる

Aliveも同じくらい大好きでMVの土屋太鳳さんもそれで知ったのだけど
彼女のダンスもSiaも一瞬でファンになった 

彼女の歌に出会えたことに本当に感謝しています




Sia  /  Chandelier


Party girl don't get hurt
Can't feel anything, when will I learn
I push it down, I push it down

I'm the one "for a good time call"
Phone's blowin' up, ringing my doorbell
I feel the love, feel the love


パーティーガールは何も感じないから
傷つくことなんてないの
学ぶことなく押しのけるわ

都合のいいときだけの女
携帯が鳴って ドアベルが鳴る
それで愛を感じるの




1,2,3 drink
1,2,3 drink
1.2.3 drink

Throw em back, till I lose count

自分を見失うまで飲み続けたら



I'm gonna swing from the chandelier   from the chandelier
I'm gonna live like tomorrow doesn't exist   like it doesn't exist
I'm gonna fly like a bird through the night   feel my tears as they dry
I'm gonna swing from the chandelier   from the chandelier

あのシャンデリアに揺られてみたいの
明日が来るはずもないと思いながら生きて
夜を飛び越える鳥のように飛んでみたい 私の涙を拭い去るように
あのシャンデリアに揺られてみたい



And I'm holding on for dear life
Won't look down, won't open my eyes
Keep my glass full until morning light,
'Cause I'm just holding on for tonight

Help me, I'm holding on for dear life,
Won't look down, won't open my eyes
Keep my glass full until morning light,
'Cause I'm just holding for tonight, on for tonight

必死に生きてるでしょ
下を向かない 目は閉じたまま
朝の陽射しが来るまでグラスを満たし続けるの
私はこの夜にしがみついて生きているから

助けて 頑張って生きてるでしょ

下も向かずに 目も開けずに
朝の陽ざしが来るまでグラスを満たし続けるの
だって私は今夜の為だけに生きてるの





Sun is up, I'm a mess
Gotta get out now, gotta run from this 
Here comes the shame, here comes the shame

朝が来た めちゃくちゃだ
早く逃げなきゃ ここから早く逃げなきゃ
また絶望がやって来た








On for tonight
’Cause I'm just holding on for tonight
Oh I'm just holding for tonight
On for tonight  
On for tonight

'Cause I'm just holding for tonight
'Cause I'm just holding for tonight
Oh I'm just holding on for tonight
On for tonight
On for tonight





2016年5月31日火曜日

New Colors

ブログを書いてない間は苦しいことと楽しい事が凝縮されたような
両極端な生活
幸せでいられた時間は1パーセント
でもやっぱり私は苦しい環境を選んでしまうんだろうか

母親の意味わからない精神病は
私自身をも変え 家にいるときの自分はまるで二重人格だった
それは人に見せられないような姿で
自分リアル喰種だなと呆れる

コミュニケーションとは無縁の中で生活してきた自分は
やっぱり未だに自分自身に怯える
自分が誰か どんなやつかなんて未だに分かんないし
もうどっか完全に自分で自分をシャットダウンしてしまった

親を親だと感じられなくなってしまったし
感謝も何もない できるだけ関わらないように
話さないように昔と今の生活は何にも変わってない
家に入ると気分が暗くなって全てを奪われたような感覚になる

そんな中で思ってもいない宝物が届いた
私が絵を描くことを唯一喜んでくれる人

絵を描くのが好き 音楽を聴くのが好き
そういうことを無感情にバカにする人たちと暮らしてる
それでもそんな環境に暮らしてきた自分にしか描けない美しさもあると思ってるし
根拠のない自信はずっとある
それをどこかで必要としてくれてる人がいるのも知ってる

死ぬことばっかり考えてしまうこの家で
楽になれる方法をずっと探してる

最近初めてかと思うくらい親戚付き合いがあって
親戚と話したり目の前で親娘が仲良く話したり
私にとってはそういうのが異様で 親戚兄弟の中でもうちがどれだけおかしいか思い知る

子供の頃からある暗い気持ちはいつか消える日が来るんだろうか
それだけは自分で壊すことができないことは知ってるんだ







2015年12月21日月曜日

音のない日

頭の中は空っぽで 何もかもが通り過ぎる

大人数の中で自分だけという孤独が耐えられない

目の前で何が起こっているのかも

何を楽しんでいるのかも

たくさんの笑顔も

全部心を通り過ぎていく



1日でもつらすぎる

本当はそんなこと気にしないようになれればいいんだけど

誰かを好きという想いも

誰かの為に何かしたいという想いも

驚くほど消えうせる


気にしないふりなんてできなかった

今全然人間らしくないな自分

だからどうすればいいのかって思っても

吐き出したくはない

誰かを傷つけたくはない

何を守っているんだろうか自分

いや 結局何も守れてないんだ


でも

いつだって傷ついた理由は知ってなきゃいけない

そんなときに誰かの為にすることは自分を裏切ることだ

誰かのせいにもしたくない

自分を打ちのめす弱さを味わいたくはない


でも

傷つけあうことはやめられない


2015年12月16日水曜日

アインシュタインが娘に送った手紙とIntersteller


彼の言葉を初めて読んで思い出した
そういえば「Interstellar」は彼の言葉から導かれた作品だということを

自分も愛の力を信じるが故に
彼の言葉に嘘がなければ
彼の言葉を疑いなく受け止めることができるし
それを映像化された
まぎれもないこれまでの世界をこの目で見れた喜びは
なんとも言葉にしがたいけれど

彼の娘に20年という時間を空けて読ませた手紙の意図からもそのリアルさを感じることができるし、
いつの時代に生まれたとしてもきっと同じことを思う
この世界の正しさを思えば
そうであって欲しいと願うのが この世界のただ一つの真実なんだ

でも今の時代でも彼の言葉を信じれる人が昔よりも少ないかもしれない
世界中の人が共通して信じられるたった一つのものが愛であって欲しい

後世にもInterstellarを越える世界観でこの真実を伝えていきたい







Albert Einsteinは娘Liserl Einsteinへの1400通の手紙を20年間公開しないという理由でHebrew大学に寄付をした

はどれも分かりづらいものが多かったので、自分の言葉で和ました






私が相対性理論を提案したとき、ほとんどの人が私を理解しなかった。
私が人類に伝えようとから明かすことも、
きっと世界は誤解と偏見を見出すだろう。
これから私説明することを、この世界の人々が受け止められるようになれるまで
お前にはこの手紙を何年でも何十年でも守っておいてもらいたい。

現在の科学ではまだ説明することできない、ある極めて巨大な力がある。

その力は全てを巻き込み、支配するだろう。
そして、宇宙空間におけるどんな現象の背後にも存在している
しかし、私たちは未だにその力を突き止められずにいる



 

その巨大な力とは、愛だ。





科学者たちが宇宙の統一理論を調べた時、彼らはこの巨大な力に気付ず、どこかへ葬り去られてしまってい


 
愛とは光だ。それは与える側、受け取る側双方にを与えてくれる


 

愛とは引力だ。人々は気付かぬうちに魅了され、惹き付けられてしまう

 

愛とは力だ我々を揺り動かし無意識に未知の力を引き出してくれる。そして目には見えない、人間の持つ自尊心さえもを拭い去ってしまう


愛は気付かぬうちに存在し、広がってい



愛のために、私たちは生きて、死んでいく。


 

愛とは神であり、神こそが愛なのである。
 


愛はこの世界のあるゆる生命に意味を見出し、希望を与えてくれる。

 

この変数を、私たちはあまりにも長い時間無視し続けてきた。
それはきっと愛だけが唯一、自らの意志では動かすことができない宇宙エネルギーである為、私たちはどこかに恐れを感じてしまっているのだろう。



愛を視覚的に捉える為、私の最も有名でシンプルな方程式E=mc² を代用する。そうすると、光の速さの2乗で増殖する愛により、
我々は世界を治癒するエネルギーを得ることができる。
 

愛こそが現存する中で、最も巨大なエネルギーであるという結論に至った。


 
なぜなら愛には限界がないからだ。

 
人類が宇宙における他の力を利用、制御しようしたことは失敗し、私たちを裏切るという結果に至った。
それ故、私たち自身で自分たちを養う為の他のエネルギーが必要なのだ


もし私たちが人類の存続を願うなら
もし私たちが生きる意味を見出すなら
もし私たちがこの世界とそこに生きる全ての生命を守り、救いたいと本気で願うなら

愛こそが唯一の答えである。


しかし、残念なことに、私たちは未だにこの世界の全てを壊してしまう憎しみ、身勝手さ、貪欲を破壊できるほど強力な機械を作ることができずにいる。
未だにというエネルギーの爆弾を作れないのだ。

けれども私たち個人においては、小さ愛の発電機を自身の中に持っているのだ。
そしてその強力なエネルギーは解放されるのを待っているのである


私たちがこの巨大なエネルギーを誰かに渡し、感じ、学びを得るとき、

愛しいLieserl、愛こそが全てを、何もかもを超越し打ち勝つことができるエネルギーであると確信することができるだろう。

なぜなら愛こそが生命の神髄(クイントエッセンス)だからだ。



私は心の奥に感じていた想いを表現できなかったことを心から悔み、

そのことが私の人生を静かに打ちのめしてきた。


謝罪をするのは遅すぎるが、時間とは相対的なのだから、私はお前に伝えなければならない。
私はお前を愛しており、お前のおかげで最終的な答えに辿り着いたことに感謝しているということを。


お前の父親
 


アルベルト・アインシュタイン


 

In the late 1980s, Lieserl, the daughter of the famous genius, donated 1,400 letters, written by Einstein, to the Hebrew University, with orders not to publish their contents until two decades after his death. 


This is one of them, for Lieserl Einstein. More can be found about Lieserl here
…”When I proposed the theory of relativity, very few understood me, and what I will reveal now to transmit to mankind will also collide with the misunderstanding and prejudice in the world.
I ask you to guard the letters as long as necessary, years, decades, until society is advanced enough to accept what I will explain below.


There is an extremely powerful force that, so far, science has not found a formal explanation to. It is a force that includes and governs all others, and is even behind any phenomenon operating in the universe and has not yet been identified by us.


This universal force is LOVE.
 

When scientists looked for a unified theory of the universe they forgot the most powerful unseen force.

Love is Light, that enlightens those who give and receive it.
 

Love is gravity, because it makes some people feel attracted to others.
 

Love is power, because it multiplies the best we have, and allows humanity not to be 
extinguished in their blind selfishness. 

Love unfolds and reveals.
 

For love we live and die.
 

Love is God and God is Love.

This force explains everything and gives meaning to life. 

This is the variable that we have ignored for too long, maybe because we are afraid of love because it is the only energy in the universe that man has not learned to drive at will.
 

To give visibility to love, I made a simple substitution in my most famous equation.
If instead of E = mc2, we accept that the energy to heal the world can be obtained through love multiplied by the speed of light squared, we arrive at the conclusion that love is the most powerful force there is, because it has no limits.


After the failure of humanity in the use and control of the other forces of the universe that have turned against us, it is urgent that we nourish ourselves with another kind of energy…
If we want our species to survive, if we are to find meaning in life, if we want to save the world and every sentient being that inhabits it, love is the one and only answer.


Perhaps we are not yet ready to make a bomb of love, a device powerful enough to entirely destroy the hate, selfishness and greed that devastate the planet.
However, each individual carries within them a small but powerful generator of love whose energy is waiting to be released.
 

When we learn to give and receive this universal energy, dear Lieserl, we will have affirmed that love conquers all, is able to transcend everything and anything, because love is the quintessence of life.
 

I deeply regret not having been able to express what is in my heart, which has quietly beaten for you all my life. Maybe it’s too late to apologize, but as time is relative, I need to tell you that I love you and thanks to you I have reached the ultimate answer! “.
 


Your father Albert Einstein





意識よりも速く、
光と音、時空を越えて


どこまでも




2015年12月6日日曜日

Brazilian とブラジル90日間

ブラジル来て初ブログだ

初めてってぐらい1人のゆったりした時間ができたうえに
久々に飲んだ後の目覚めで寝付けなくなり
色々思うこともあるので長くなるだろう今を書いてみよう

私が現在住んでるTGハウスとは
今私が所属してるHUMANAというNPOのスタッフたちの住む場所

この3日間、私以外の3人は彼らの地元に帰っており今はバウディと2人だ
HUMANAはアルコール一切禁止なので彼とピザ屋で飲んできた
近くはプラザ(広場)でバカでかい野外のスクリーンに「アリスインワンダーランド」が上映されてた

他の地域では分からないけどここバイーア州ではまず映画を見るという習慣がない
レンタルDVDや映画館なんてもちろんないし、CDレンタルももちろんない
でも彼らはテレビとかダウンロードで済ませてるみたいだけど
レンタルショップの何を見ようかと選ぶ楽しさを知っているだけに
日本にはあってよかったななんてふと思う

というかCD屋さんもないし(路上の海賊版販売みたいのはあるけど)本屋もない
子供の頃音楽やマンガなしに生きれなかった自分は果してここで暮らすことってできたんだろうかとか日々いろんなことを日本や自分と比べてる
本当に何もかもが日本と正反対だ

音楽だって色んなジャンルがあって覚えきれないんだけど
基本はダンスで踊れるミュージック
クールというよりも陽気で明るいものばかり
そして仕事中であろうが家にいようがとりあえずみんな歌っている
そういうのを日々見ていると本当に悪い人っていないなって思う

すごく漠然としてるけど、その瞬間瞬間をみんな楽しんで常にハグしあっていつも楽しくお喋りしてる
ブラジルにいる人って地域に関係なくみんなそう
そんな人たちを見てまず嘘をつくような人には見えないし、裏切ったり悪いことは考える隙なんて全く見受けられない
そしてそんな人たちまず日本にはいない

日本人は最初はすごく距離感があって相手の考えが見えなくていつも手探り状態
本当に仲良くなるまですごく時間がかかる
そして仲良くなってもいつも相手を気遣ったりして自分自身を隠してしまってる

どっちが正しいわけでもないけど
明らかにストレス感じてないのはブラジル人だ
悩みなんてあるんですかなんていうような人ばかり
そういう彼らと暮らしていると人があるべき姿ってこっちなんだろうなーとも思う

仕事なんて二の次で、常に周りにいる人と平等で楽しんで何も縛りがなくて
こんな世界本当にあるんだという驚き
彼らは絶対に日本で暮らすことはできないだろうけど

でもその分すごく怠慢で時間を気にしなかったり、細かいことが見えてなかったりする
そして計画性が全くなく、スケジュール作りもできない
だからこの先どうなるんだろうかというぼんやりとした不満は常にある

そして自分が聞いていたものと違うじゃんなんて瞬間も常々
いつもこっちは待たされてばかりだし、大事な連絡も返信くれないのに
これから10分後にどっか行くとか無茶というかそりゃないだろうって要求をされるのは本当に困る

そして何かを提案するときはいつも直前
どっか行くなら行くでこっちとしては前日とか2,3日前に行って欲しいことも
これから~へ行けど来る?とか夜は外食だからとか今から行こうとか
振り回されてるなーって感じが常にある

そして私と一緒に仕事してるブラジル人は自分より若いこともあってか
たくさん歌い、たまには踊り、常に誰かと話しているので驚くほど仕事が遅い
日本人なら1日でできそうなことを彼らは3日ぐらいかかっている
そのうち自分も集中力なくなり最終的には彼の効率の悪さに呆れてしまう
自分から見たらこうしたらもっと仕事早くなるのにっていうのは日本人ならではだろうな

そして一番の問題がコミュニケーション
私はポルトガル語が流暢ではないし、プロジェクトリーダーが英語喋れるので基本は英語
でも彼らの英語は本当に聞き取りづらい

基本日本と同じく子音の発音がないので、例えばErickはエリキとなる
そしてrがhになったり、hの発音がなかったりで彼らのルールを意識して英語を聞く必要がある

この間大学入学の為辞退してしまったコスタリカ人は英語を話せるので
いつも彼女のきれいな英語の通訳を聞いてきた
(ちなみに彼女はスペイン語を話せるので1か月ほとでポルトガル語マスター)
彼女のいない今は正直理解できなくて自分の意見言えなかったり
もういいかと諦めること多々。。
そして間違えて理解してしまう時は唯一ストレスを感じる瞬間
いつも悔しい思いをする

HUMANAの中でも自分は唯一の外国人になった
最初彼女が抜けると聞いた時はどうなるんだろうかと思ったけど
この数日一緒に過ごして あぁきっと大丈夫だとふと思った
彼らの明るさとのんびりペースで自分も無理をしなければ大丈夫だ

彼女が抜ける数日前だった
来週このプログラムを辞めるからと
もう家族とも相談した彼女はそう私に報告した
その数日は彼女がいなくなる不安と悲しさで朝を迎えたり
気付かれないよう涙を流してた

何も話せない私に彼女は本当に色んなことを率先してやってくれた
それはもう感謝しきれないほどに
そんな彼女に甘えてばかりいて最後に彼女の為に自分のできる最大限のことをしたいと思った
写真集と周りの人の書き寄せたメッセージ、思い出のカポエラのキーホルダー、彼女の好きなグミ
自分が思いつくことで彼女の喜びそうな全てを彼女に手渡した

写真集は写真1枚1枚を加工して、綺麗にwordで並べた
最初はコラージュしたかったけどたくさんの写真を手渡したくて写真集にした
書き寄せも二日間でできる限り多くの人に書いてもらいたかったけど
まだ2人しか書いてないじゃん!て急いでたのも伝わってなかったりで大変だった

みんなに書き寄せしてもらったのはスケッチブック
もちろんサイン色紙なんてないし値段も手頃でスペースたくさんあったから
色鉛筆とクレヨンも一緒に渡したら思いのほかかわいらしく
温かみあふれる感じがしてもらったら絶対嬉しいって思わせてくれるようなやつだった
1人1ページずつ書いてくれて自分は5ページほど書いた

彼女と一緒に過ごしたのは学校の期間も含めると約半年間
3か月間のブラジルでは24時間常に一緒だった
普段口数少ない分想いの丈を文字にできて本当によかった
そして一番最後のページには何ヶ月振りかの絵を描いた

彼女に全てのプレゼントを渡してお別れを言う瞬間
もうそれは抑えきれないほどの涙があふれ出た
人前でこんな泣いたのって本当に何年ぶりなんだろう
数えきれないほどたくさんの人たちに出会って
数えきれないほどの思い出も一緒に作って
それだけでこんな大きなことなんだ
彼女と別れた後もしばらく涙を止めることはできなかった

彼女がバスでTucanoを去る直前
彼女は私に長い手紙をくれた
私の不安と謝辞に彼女は優しく応えてくれた
というか封筒に書かれた彼女の初めての日本語だけでもまた涙があふれてきてた
もうこの日は思う存分泣いて本当にすっきりできてよかった

本当に彼女からたくさんのことを学んだ
言語もだけどそれ以外のものが多かったかもしれない
改めて思うのは自分のバックグラウンド

本当にうちは会話のない家族だったから自分の思ってることとかそれだけでやっぱり未だに勇気がいる
英語も未だ不自由だから細かい部分も伝えられずに終わってしまう
1人の時間が必要だった自分にはどんな思いをさせてしまったんだろうといつも考える

こんな自分には結婚とか考えられないし
してはいけないだろうなーとやっぱり思ってしまうな